小学生時代の話をしようかと思いますがその前に

昨日、習い事についての挫折について投稿させていただきましたが

特に触れた英語について、なるほどなぁと納得できる説明を発見しました。

とある2チャンネル開発者のとあるひろゆきさんのとある切り抜きYouTubeで

「日本人の98%は英語が喋れない」的なタイトルで上がっていました。

そこでは、言語を学習する際に母国語(日本の場合は日本語)で学習することが

マイナスに働き、しゃべれない(理解できない)という結果につながるのだそうです。

妙に納得できましたね…

英語を習得する際に、効果的だと言われているのが

「英語字幕を見ながら英語を聞く」

「英語を聞く際は母国語(日本語)に変換しない」

これらが上がってくるのはそういう理由なんだなと…確かに日本語を聞く際はいちいち意味なんて考えず

瞬時にイコールが成立するものですもんね。

これから英語を勉強する際には意識していきたいと思います(するかはわかりません(;´・ω・))

さてと、話題は変わりまして

小学生のころの友達付き合いについて、振り返りながら考えてみたいと思います。

小学生というと、なぜかクラスもしくは学年に目立つ中心人物が現れて

その中心人物を取り巻く環境によってカースト制度的なものが生まれてしまっていたように思います。

おそらくこれは、どこの小学校でもそうなのだろうと思います。

1年生ですでにおおよそのカーストが決まってしまっていたのですが

中心人物に据えられた人は、性格的にはおそらく中心人物に向いている人ではなく

ただ特徴的であったことにより、中心人物に据えられたように感じます。

「双子」

「顔がいい」

「足が速い」

気が優しくて力持ち的なお兄さんキャラは気づくまでに時間がかかるのでしょう

とにかく見た目、わかりやすい特徴がある人に注目が集まるのです。

そしてそのような特徴がない人は、いかにその目立った人とお近づきになれるかを考えるわけですね。

ただ運よくその人と性格の相性がよく、仲良くなれる人だったら好いですが

そう上手くはいきません。

「何か違う」

「うまくかみ合わない」

「何か避けられてる気がする」

そんな思いをすることは多々あります。

そこで自分はこのカースト制度から抜けようという判断をできる人はかなり優秀な方だと思います。

大抵の人はいかにして気に入ってもらえるかを考えますし

中心人物に据えられた人は、もともとの性格にもよりますが

多くの人が勘違いをしてしまい(自分はえらいというような)その人本来の性格を捻じ曲げてしまった結果

わがままを言ってしまう機会が増えてしまっていると思います。

皆さん成人式の夜 飲み会に参加したりしましたか?

その際に『この人こんな性格だったっけ?』とか『すごく落ち着いたなこの人』とか思った記憶ありませんか?

おそらくそっちが本来のその人の性格で、それに気づき、着地するまでにそれ相当の時間を要しているというわけです。

話は戻り、自分も気に入ってもらうためにゴマをすっていたと記憶しています。

結果的に自分のゴマのすりかたはあからさますぎて、うざったいやつ認定を受け(直接言われたわけではありませんが)

距離をあけられていたと思います。ここで友達関係って難しいなと思い知らされたわけです。

この問題について1つ正解を上げるとするならば

『無理して自分を飾っても、マイナスでしかない』ということですね。

気が合う人にはいつか出会えます。義務教育の間にその出会いがある保証はまったくありません

ここが肝です‼

別に無理して友達作らなくてもいいと思います。

経験上気が合うもしくは気が許せる人以外に自分をさらすのはマイナスにしかならなかったので

似たような思いをしている人はまず、表面的な付き合い方を覚えましょう。

(と言いつつ私は全くできず、苦しみまくってますけど( ノД`)シクシク…)

・合えば挨拶する ・昨日のニュースについて意見を交わす ・相手の好きな話を聞く(こちらのは話さない)

この3つができればもう完璧!

学校生活から職場まで、大概の人間関係はさばけます。

(何度も言いますが私はできずに苦しんでます(´;ω;`)ウゥゥこんなことできる人間になりたい( 一一))

とにかく自分を偽らないこと、偽らなくても気にならない相手が見つかるまで無理をしないこと

人間関係に悩みを持つ人の気分が少しでも楽になりますように

今日はこの辺で…

100日チャレンジ6日目

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