親が子供に与える無償の愛って存在すると思いますか?

常に与えるのが当たり前ってことなんでしょうけど

実際に子供を持ってみた人はわかると思いますが

無償の愛って結構難しいですよってお話です。

以前のどこかで両親との距離感について書いたように記憶しておりますが

その辺を少し深堀して考えてみたいと思います。

私自身子供のころは両親とは少し距離があったなと思うのですが

まず前提として、両親は怖いという感情があったのは間違いないです。

父親はもちろんのこと、母親も同級生にすら怖いといわれるような

少し有名な名物お母さんでした。

家の中では常に両親のご機嫌を窺って生きていく、(両親だけでなく家族全員のですが)

そんな幼少時代でした。

怖いと思っていましたが、特に嫌いという感情があったわけではなく

むしろ好きな感情をもって接していたのは間違いないです。

特に母親に対しては…

少しでも多く褒めてほしくて、よくお手伝いをしていたのを覚えています。

我が家は両親ともに働いており、俗にいう「かぎっ子」の状態で

自分が一番早く家にいることが多かったのですが、

母親が帰宅する前に、お味噌汁を作ったり、ご飯を炊いたりと

自分ができることをやっては母親に

「今日○○作ったんだよ!」

なんて声をかけていました。今になって振り返れば母は相当喜んでくれていたのはわかるのですが

当時の自分にはあまりそれが理解できておらず、

「何故もっと褒めてくれないのだろう」と悩み、がっかりしてしまっていたと記憶しています。

当時は上2人が結構手がかかる存在だったため、それに母が振り回され右往左往している姿が印象深く

「自分には価値がないのかもしれない」なんて自分をさげすんでいました。

そのせいで両親が与えてくれる愛情に気づかず、ふてくされてしまっていたんだなと…

素直になれないまま両親と同じ空間にいることが恥ずかしく、嫌だと感じる機会が増え

自分から距離をとってしまっていたように思います。

これには後悔が大きく、もっと素直に自分の気持ちを表現できる子供でいたかったなと

自分が親になり、確かに可愛いですし愛情を注ぎたい存在ではあるのですが

自分にも機嫌というものがあり、そこに左右されてしまっているのはあります。

だからこそ常に無償の愛情を注ぐということは不可能だと感じていて、そこに

子供のころ親の顔色を窺っていた自分がフラッシュバックしたわけです。

これじゃまずいと思っており、子供たちが自分や奥さんの機嫌を窺っている様子を見るたびに

「俺は何をやっているんだろう」と反省する毎日です。

おそらく我が子たちも自分や奥さんに振り向いてほしくて、お手伝いや

お話や、わがままな行動をとっているのだと理解しつつ

今後も接していけたらいいなと思っております。

文章にまとまりがなくなり始めた7日目の夜

今宵はこの辺で…

100日達成まであと93日