人生において一番最初にわが身に降りかかった挫折を考えてみました。

おそらく私にとっての一番最初の挫折は

「家庭内で自分の意見を通すことをあきらめる」

だったと思います。

私はある家の次男として生まれました。

上には女と男がおり、2人とも自己主張の塊のような人でしたし

2人とも自分の意見が通ることが当たり前と考えている人だったと思います。

(父親もしかりだったのでおそらく父家系の遺伝なのでしょうか)

小さいころから家族の顔色を窺って生きていくのが当たり前でした。

望む可能性の高いものを先取りして考え、いかに機嫌を損ねないかを考え行動する毎日でした。

その分家庭の外では必死にわがままを通そうとし、多くの人に迷惑をかけ、そして多くの人から嫌われたと思います。

それは至極当たり前のことで、だれでも人の意見を聞かず、自分のことばかり考えている人間なんて

好きになるはずないですからね…当時の私はそれに気づけず、多くの人を不快にしてしまったと思います。

話は戻り、家庭の中での話ですが

私は高校を卒業するまでの18年間、家族と過ごしました。

私にとっての初めての挫折は日々を追うごとにどんどん軽くなっていきました。

なぜなら上2人が成長とともに家に寄り付かなくなってきて、両親と僕との3人での生活が増えてきたからです。

この経験をもとに考えうることとしては、挫折を経験したとしてもいずれは過去のものとなるということでしょうか。

ただし”その挫折に限る”ということを忘れてはいけません。

もちろんその間に別のいろいろな挫折を味わっているわけで…

今になってみれば、親を相手にもっとわがままを言うべきだったかなって思います。

大人になってから親に甘えようなんて恥ずかしくてできないって人

特に日本人には多いんじゃないでしょうか。私は子供のころから親が大変そうに見えていたこともあり

特に母親に甘えることができませんでした。逆に、常に母親に対して『何をしたら喜んでくれるんだろう?』

ばかり考えていました。そこで母親から出てくる言葉はこうです。

『あなたは手がかからなくて助かるわ』『あなただけは心配しなくていいから助かるわ』

この言葉は正直嬉しいとは思えませんでした。自分が望んだ結果、望んだ言葉が出てきているにもかかわらず

嬉しいどころかさみしくありました。これが母親に甘えることに挫折していたからなんだと今では思えます。

今からでも遅くない

甘えたいと思っている人は甘えたほうがいい

決して金銭的なことではなく、気持ちの面で甘えることは40超えようが50超えようが決して恥ずかしいことではないと思います。

挫折はいずれ過去のものになる”はず”です。ただその期間は人や起こった出来事それぞれで異なり

10年以上かかるものもあれば、明日には過去のものになるものもあるでしょう。

挫折に挫折が重なることも 日々生活していくうえで当たり前に起きていくことでもあります。

あなたにとって耐えがたい挫折が少しでも早く過去のものになるよう

多くの経験を語っていけたらと思います。

今日のお話はここまで、100日チャレンジ2日目

達成まであと98日…