さて今回のテーマは習い事です。

家庭の事情にもよるかと思いますが

日本人の多くは、学生時代になんかしらの習い事をしていたのではないでしょうか。

私もしかり

私はかなり恵まれていて、週に5日が習い事というスケジュールでした。

(子供にとっては地獄の生活ですがね…)

月曜日に英会話

火曜日に水泳

水曜日がお休み

木曜日お休み

金曜日水泳

土曜日ピアノ

日曜日少年野球

まぁざっくりこんな感じです。

結論

水泳以外はほぼの能力値がゼロになっているww

笑えない状況ではございますが笑えますww

純粋にいえばピアノで得た音感のおかげで音痴ではなくリズム感もよいと思いますが

ピアノをやっていない人生を知らないので何とも言えません。

野球に至ってはやっていない人に負ける自信すらあります…

スポーツって努力ももちろん大切ですけど、それ以上に

才能が必要ですよね‼(楽しむだけなら問題はないと思います♪)

そして英会話

小学校1~6年という超長期的スケジュールで通い続けた結果

「多少聞けるけど全くしゃべれないレベル」

に落ち着きました。

今考えたら全盛期は間違いなく小学生の時だったと思います。

あの頃は外国の人と普通に会話してましたしね…

ではなぜそんな私が中学以降、全く話せなくなってしまったのか

そこにはやはり『挫折』の影響が大きいと思います。

会話というものは正確でなくても伝わればOKでしょ?という部分が大きく

失敗を恐れず(気づかず)チャレンジできたことで、自信につながり、しゃべることに対しての恐怖感が薄れていたのだと思います。

でも中学から現れる最大の敵…

その名も『文法』

こいつがまたとてつもなく厄介なやつでして…

今まで問題なく成立していたはずの会話が全部間違いと判定されてしまうんですね

たとえば 「I have one pen. This is orange」と話したとします。

大概は通じますが、テストでは間違いなく×をもらいます。

ちなみに正しくは「I have a pen. The pen is orange in color. (This color is orangeとか)」

まぁ日本人ていう人種は間違いを極端に嫌い恥ずかしいと思う人種ですので

自分の自信の持っていたはずのものはすべて間違いだったと気づいた時の私の

絶望感たるや…想像を絶しましたね

そこからというもの、話すことに恐怖し、口に出すことをやめました。

現在では学習で大切とされている「アウトプット」これをやめてしまったわけです。

当然小学校6年間のストックはあっという間に切れてしまい

私の英語の成績はみるみる下降していったわけで…

当然嫌いになったわけで…

ここで6年間を無駄にしたという挫折を味わうわけです。

私の場合はここで逃げて終了、結果「多少聞けるけど全くしゃべれないレベル」になったわけですが、

逃げずに戦えていたらと考えると…とてももったいない気持ちになります。

(今だったら間違いなく戦います(汗))

この経験から得たことというのは

少なくとも習い事をする以上「好きである」ということが大切だなと思います。

「好きである」ことで間違えた、失敗したからもう嫌だ問う発想には行きにくく

何とか改善してみようという気持ちになりやすいでしょう。

我が子たちも習い事をしていますが、考え方としては「好きなこと」をして欲しい

だからこそ「嫌ならやめていい」と「楽しい気持ちで通っているか」の確認はしています。

今のところ好きで通っているようなのでこのまま続けてくれると嬉しいです‼

100日チャレンジ5日目はこの辺で

残り95日…頑張ろうー